古来、日本人は移り変わる季節をどう感じるかを大切にしてきました。なかでも料理は旬を実感する最たるもの。目で愛で、香りや食感を感じ、味わう、そんなふうに五感で食を楽しんできました。「旬を現す代表的なものは野菜です。ところが西洋野菜が出回り、栽培技術が改良されて、同じ野菜が季節を問わず手に入るようになりました。便利なのはよいのですが、料理人としては旬を大切にしたい」と憂うのは、浪速割烹㐂川の創業者、上野修三さん。生命力に満ち、栄養も格段にある昔ながらの自然野菜、浪速の伝統野菜を復興させようと長年努力されてきた人です。上野さんにお話を伺い、「料理人より絵かきになりたかった」と言われるほど美しい挿絵と共にお届けします。
上野修三プロフィール
1935年 大阪府河内長野市に生まれる。
大阪市の老舗「川喜」で修業ののち、「照井会館」を経て、「川喜」料理長に。
1965年 独立し「季節料理㐂川」を開業。多くの弟子を育てる。
1977年 大阪・難波の法善寺横丁に場所を移して「浪速割烹㐂川」を開店。
現在は同店を長男の修氏に任せて料理人を引退、食の随筆家、なにわの食文化の語り部として活動。
大阪市民賞、卓越した技能者賞(厚生労働省)、平成29年黄綬褒章受章。
山深い地にあった私のふる里
奈良を源流とする大和川に合流する石川を遡ると楠木正成の墓所で名高い観心寺の在所・河内長野市があります。石川の支流をさらに山奥に入った高向村字滝畑という紀州との県境に近い、平家の落人の隠れ里であった山間の村が、私のふる里です。16才までここで育ち、大阪はミナミの宗右衛門町へ調理見習いに出ました。
その数年後、ふる里の村にダムが完成し、我が家も湖底に沈みました。住民は移転を余儀無くされ、幼な馴染みもちりぢりになり、なつかしい景色も今ではおぼろげな記憶をたどるしかありません。村人の仕事は主に木炭作りと山の仕事でした。私も小学校の高学年になると、山の仕事を手伝い、木炭を自転車に乗せて街へ売りに出て、喘息がちな父の手助けをして家計を助けていました。
修業中に出会った不思議な野菜たち
大阪に出て、まず困ったのは、カルキ臭のある水道水でした。自然のなかで育った私にとって、都会の水はとてもまずかった。幸い手漕ぎポンプの井戸があったので、これでしのぎましたが、それも束の間。近くで地下鉄工事が始まると、地下水の流れが変わったのか井戸が枯れ、調理用の水も、出し汁などは前夜から汲み置いたものしか使えず、「生水は飲むなよ!」と、親方はいつも気を使っていました。
筋向かいにあった料理店出入りの青果店も、この井戸が使えずにずいぶん困ったようです。料理修業中の私は、毎朝この八百屋に行って野菜の下処理を習い、野菜には水が大切なことを身をもって知ったのです。そして、毎朝早く運び込まれる野菜を見ることが楽しみになっていきました。しかし、私の生家で、自家用に作っていた野菜と違って、八百屋に入ってくる野菜の姿形、サイズまで揃って箱詰めされたものは、不思議に思えました。そのなかに、農家から直接買い付けて運ぶ「担(かつ)ぎ」と」称する業者があり、その野菜は形は不揃いでも野生の力強さがありました。
なにわの伝統野菜復興に尽力
子どもの頃から野の花が好きで、暇さえあれば写生をしていた私は、板前修業中も独立して割烹店を開いてからも、休日には山野や田畑に出かけて、スケッチをしたり写真に撮って自宅で絵を描いたりしていましたが、忙しくなってくると出かけることもままならず、店で使う食材を描くようになりました。よくよく見るうちに、同じ野菜でも作る人によって随分形が違う。もちろん味も違う。収穫率だけにとらわれず、旬のままに品質第一主義とする篤農家の努力を、私ら料理屋こそが知ったうえで、料理として提供すべきではないかと思い出しました。
かつて「津の国」と呼ばれた浪速(なにわ)は、日本の物流の中心であり、大陸との交易で新しい野菜の種子が渡来しました。その種子は、まず近郊の河内平野で試作されたはず。その地でとれた野菜を見直すことは、大阪の料理屋として大切と考え、大阪産の野菜について調べ、篤農家・農林博士・調理士、食や新聞の記者らと会を作って研究し、料理に取り入れ、PRをしました。これが、天王寺蕪(てんのじかぶら)・毛馬胡瓜(けまきゅうり)・勝間南瓜(こつまなんきん)・吹田慈姑(すいたくわい)・泉州玉葱・田辺大根など、形・味・食感に強い個性を持った「なにわ野菜」です。
20年以上にわたる取り組みの結果、さまざまな伝統野菜が復活し、流通するようになり、大阪府や大阪市が伝統野菜の認証、販売店の紹介、伝統野菜を使った加工品創出事業に取り組むようになりました。毛馬胡瓜・勝間南瓜・泉州玉葱・羽曳野無花果など、これから旬を迎える野菜はぜひ食べて、その力強さを味わってほしいです。
季節の野菜~梅の実~
私のふる里は、大阪といえど、南高梅の名産地である和歌山の県境に近い山村でしたが、梅の木は少なかったのです。それでも漬け梅は常備してあり、「梅はその日の難逃れ」とばかり何かにつけて利用していました。
頭痛には、漬け梅の皮をこめかみに貼り付けたり、夏の山仕事の弁当に持って行くご飯は、羽釜に漬け梅をひと粒入れて炊くと腐らない。学校に持って行く弁当も戦中は「みんな日の丸弁当持ってきたかァ」と先生の声で、アルミ製の弁当箱を開けたものです。飯に麦が混じることがどんどん多くなって、いつしか白地の日の丸ではなくなってしまいましたが……。
中国から梅が伝わったのは飛鳥時代(6~7世紀)だそうで、漢方として下痢止め、虫除け、あるいは染料としての「烏梅」というものだったそうです。のちに、塩漬けにした梅の実から出る汁でなますを作ったり、漬け梅を古酒で煮出した液で鯉を食べたり、料理に使われることになったようです。
野菜料理のすすめ
食材の旬が曖昧になった原因は、栽培技術が進んで季節を問わずに作物を作り出せるようになったこと。そして日本の気候に変動が生じたことがあげられます。南北に長い列島日本は、「桜前線」が北上するように季節が移るのに時間差があり、流通の発達によって、ご当地食材をどこにでも送れる簡便さが、かえって「旬」に災いすることもあろうかと思います。日本列島には、それぞれの地に独自の「旬」があります。そしてそれには、山菜や野草、秋の菌類が大きな役割を果たします。そこで、栽培農家の方々は、その「旬」の幅を広げるにとどめ、消費者は食材の「旬」を知ることが肝要になるはずだと思うのです。
「日本料理には旬が大切!」とする声が高まっている反面、案外、消費者が無頓着になっているような気がします。住んでいる近郊でとれる、本物の旬の食材とはなにかを、いま一度考えて食生活に取り入れていただきたいと思います。
店は息子に譲って料理人としては引退した身ですが、妻と二人分、毎日三食の料理は私が担当しています。今は体を動かすことが少ないので肉食は控えめにし、野菜料理を何種類か用意して魚か鶏肉を加えています。店を始めた頃から、料理に加えていた「精進煮」は野菜の炊合せのこと。料理屋で出す味と家庭の味は違いますが、家庭でも季節の精進煮を1品用意しておくことをおすすめします。
2021年5月末発売!
浪速割烹㐂川のおいしい野菜図鑑 春夏編
浪速割烹㐂川のおいしい野菜図鑑 秋冬編
ともに
文・絵 上野修三
版元 西日本出版社
価格 1,500円+税
判型 A5判並製オールカラー
浪速割烹 㐂川
住所 大阪市中央区道頓堀1丁目7-7
Tel 06-6211-3030
営業時間 12:00~14:00 (13:00 L.O.) 17:00~22:00 (20:30 L.O.)
定休日 月曜日
※新型コロナウィルス感染拡大により、営業時間・定休日が異なる場合があります。
ご来店の際には事前に店舗へご確認ください。
取材協力、挿絵提供
西日本出版社
http://www.jimotonohon.com/