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90代。まだまだ成長、生涯現役
「人生100年時代」といわれるようになり、定年を迎えても今や「老後」ではなくなりました。働けるだけ働き続けたい、シニア起業でもう一花咲かせたい、ボランティア活動に励んで誰かの役に立ちたい、趣味を極めたいなど、様々な夢を持ち、アクティブに輝き続けたいと望む方が少なくありません。この先も、自分らしくいられる場所、やりがいを感じられることを求めているのです。
総務省労働力調査によると、60歳以上の「働く高齢者」は平成8年には847万人だったのが、平成28年には1286万人にまで増加しています。そのうち332万人が70歳以上です。しかし、これは実際に働かれている方の数であって、60歳以上の男女の約7割が「65歳を超えても働きたい」と願っているとされています。
「アクティブシニア」といわれるように、元気で就労意欲にあふれ、豊かな経験と知恵をお持ちのご高齢者はたくさんいらっしゃいます。実際、次ページでご紹介するお二方のように、ロングライフには現役で働かれているお客様が少なくありません。そして皆さま、とても輝いていらっしゃいます。「働く」ことは単なる収入源ではなく、自分の能力を生かし、存在意義を確認し、さらなる成長を得られる場所だといえるのではないでしょうか。
新型コロナの感染拡大もあり、近年急速に働き方の多様化が進んでいます。年齢も性別も関係なく、いろんな形で社会と関わり、自分の能力や感性を生かせる場面が増えてきました。今こそ新たな一歩を踏み出すチャンスなのかもしれません。
暮らしの充実が、「生涯現役」の原動力
アクティブシニアを代表して、「ロングライフ・クイーンズ宮崎台」で暮らしながら、今も現役でお仕事に励まれているお二方を取材させていただきました。今もなお仕事を頑張れるのは、プライベートが充実しているからのようです。
仕事も旅行もおしゃれも、毎日が楽しいです
した佇まいで、お話も楽しく、おしゃれで華やか。杖で補助しながらもしっかりとした歩みに、昭和2年生まれと聞いて驚きました。お話の端々から、旺盛な好奇心とアクティブな日常を感じられました。
ご主人の遺志を継ぎ今もご活躍中
小出様は週に3日、朝7時20分頃にホームを出て、「株式会社信栄社」へ出勤されています。同社は工業デザインの3Dサンプルを作る会社で、昭和36年に小出様のご主人が起業されました。働き者で誠実なご主人はお客様からの評判も良く、皆さまから慕われていました。ところが9年目のある日、55歳の若さでご逝去されました。その時、小出様は45歳、ご子息様はまだ高校生でした。
「私には事業を継続できないと思い、廃業を考えたのですが、当時働いていた職人さんたちから『続けてほしい』と言われて考え直しました。社員の3分の1が他社に引き抜かれたりもしました。でも、お客様の励ましや支援のおかげでなんとかやってこられました」
あれから50年、今はご子息様が後を継いで社長となられました。
「とは言え、私もまだまだ顔を出しているんですけどね。主人が誠実に取り組んできた仕事を守りたいですから」。遠慮されているご様子ですが、ご主人を想うお気持ちが、小出様の原動力なのでしょう。
自由に、アクティブにおしゃれも満喫
「ホームに帰るとスタッフが温かく迎えてくれるし、快適で楽しい暮らしがあるから仕事も頑張れているんです」
戸建てからマンションに引っ越して一人で暮らしておられましたが、夜中に階段で転倒し骨折されたのを機に、他社の有料老人ホームへと移られました。
「でも、コロナ禍で制限だらけ。思うように生活できないことに不自由を抱いていた時に『ロングライフ』を知り、見学に行くことにしたんです」。そこで一目で気に入り、すぐに住み替えを決断。
「自由な雰囲気だし、設えも調度品も素敵だし、スタッフの皆さんは、よく面倒を見てくれるんですよ。コロナ禍でもできる限りのイベントを考えてくださって毎日楽しく過ごしています」
小出様のお部屋はお庭のある1階。ガーデニングを楽しまれたり、小鳥を飼われたりとプライベートも充実しているご様子。ご出勤日以外の日は毎朝ラジオ体操に参加し、ホーム内のイベントにも積極的に参加されています。「午後からのイベントに合わせてお仕事を早めに切り上げて帰ってくることもあるんですよ」と小出様。
おしゃれして外出を楽しまれ、お孫様とは旅行にも。健康のためにとマシンを購入し、足の筋トレも始められました。
「何もしないと老いていく一方ですからね。今、自由な暮らしができて、とても幸せです」
小出様の若々しさの秘密が分かった気がしました。
今も仕事に打ち込めるのは、安心の暮らしがあるから
長身でスタイルが良く、身のこなしも軽やか、白髪がダンディな山本様。2019年にご夫婦でご入居されましたが、昨年、奥様が94歳で他界されました。しかし、悲しみを乗り越え、今も充実の日々を過ごされています。
モノづくりの信念を後世にも伝えたい
終戦により特攻出撃することはありませんでしたが、昭和18年に海軍飛行予科練習生として入隊された山本様は、復員し、銀行に就職した後、昭和43年、自動車用の部品を製造する「株式会社日研シール」を起業されました。当時、錆びないステンレススチールを自動車部品として使用できないかと試みられていましたが、壊れやすいことから実用化に至っていませんでした。開発を重ね、それを可能にしたのが、山本様なのです。
「自動車には燃料のガソリンや重油、エンジンを冷やすための水、エンジンオイルなど様々な流体があり、その漏れを止めるための部品を作るのが、我々の仕事です」
創業から54年経った今も、山本様は週3回、出勤されています。
「ものを作る工程において、守らなければならないこと、行ってはいけないことがあります。それを社員に徹底的に叩き込むことが今の私の仕事です。当社が作っている部品が原因でトラブルを起こすことは絶対に避けなければいけませんから。きっとうるさい親父だと思われているでしょうね」
自嘲されますが、今も「仕事ができるだけで幸せ」とおっしゃるほど仕事が大好きなご様子です。
器用さを発揮頼りになる存在
そのモノづくりへの想いは、ホームでも活かされています。
「包丁研ぎが得意で、ホームでも頼まれるんですよ。ドアやワゴンの修理も引き受けています。ホームには男性が少なく貴重な男手でもありますが、特技を生かしてお役に立てるのは、やはり嬉しいものです」
ホームのコミュニティでは “一家の長”のような役割も果たされており、ロングライフの社員への研修では戦争体験を講話されています。頼りになる存在であり、皆さまの憧れの的です。
奥様を亡くされて寂しい想いもされていらっしゃいますが、周りのサポートに随分助けられているよう。
「子育ても家のことも妻に任せっきりで、自分は仕事しかしてきませんでした。それでも今も変わらず快適に暮らせているのは、スタッフが温かく、細やかにサポートしてくれるからだと感謝しています」
安心の暮らしを保てているからこそ、今も仕事はもちろんクラシック音楽やカメラなど趣味も満喫されていらっしゃいます。
「夫婦で90歳を過ぎても元気で暮らせて幸せだった」と振り返る山本様。これからもその幸せが続くことでしょう。
光と風に見守られたゆとりの空間
贅を極めた、洗練の “わが家”
東急田園都市線の宮崎台駅から歩いてすぐ、見晴らしの良い高台に佇む「ロングライフ・クイー ンズ宮崎台」は、緑に囲まれ、光と風に四季を感じる、開放的な空間。落ち着いたインテリアは家族と暮らす一軒家のようなやすらぎを与え、行き届いたサービスは高級ホテルのような優雅な時間をもたらしてくれます。ゆったりと穏やかにも、いきいきとアクティブにも、ここは人生を彩る拠点。毎日を楽しむためのホームベースなのです。