目次
市野雅彦プロフィール
1961年 兵庫県丹波篠山市生まれ。
1995年 日本陶芸展大賞 秩父宮賜杯
1999年 日本の工芸「今」百選展(三越エトワール、パリ・フランス 他)
2000 年 茶の湯―現代の造形展(ヘルシンキ市立美術館・フィンランド)
2002 年 アジア国際現代陶芸展(台北県立鶯歌陶芸博物館・台湾)
2006 年 2005年度日本陶磁協会賞
2010年 現代の茶-造形の自由(菊池寛美記念 智美術館、東京)
現代工芸への視点-茶事をめぐって(東京国立近代美術館工芸館)
2011年 兵庫県文化賞
2015 年 近代工芸と茶の湯(東京国立近代美術館工芸館)
市野雅彦-軌跡、丹波にて(兵庫陶芸美術館)
2016年 焼締-土の変容展(国際交流基金、国外12カ所巡回中)
2017年 三越美術110周年 HORPS 次世代百選展(日本橋三越本店)
2020年 国立工芸館石川移転記念館-工の芸術-素材・わざ・風土(国立工芸館)他
2021年 丹波からTAMBAへ-市野雅彦展(緑ヶ丘美術館・奈良)
作品を含めた空間全体に自然や宇宙を感じる
「市野雅彦陶展 諦観-今を生きる―」と題された今回の個展は、市野雅彦氏の60歳・還暦記念でもあります。市野氏自身がコーディネートした空間に約80点の作品を展示。
会場は、丹波の土や木々や風の香りを感じるような、おだやかな空気に包まれていました。
市野氏が描く世界。それを共に創り出すのは、設計士、大工、庭師、映像作家ら。仲間たちの阿吽の呼吸が感じられるから、この空間の居心地が良いのでしょうか。時間を忘れて見入ってしまいました。
1995年に日本陶芸展大賞を受賞した「開」は、阪神淡路大震災のあと、神戸でボランティア活動をしているときの作品でした。一瞬にして多くのものが崩れてしまった未曾有の災害に衝撃を受けた、その心情から、装飾をそぎ落とした美しい造形美が完成したのです。
丹波伝統の赤土部(アカドベ)を使う
丹波焼は800年以上の歴史を持ち、日本六古窯の一つに数えられています。赤土部は、江戸時代に丹波焼で生まれた色。赤と表現しますが、朱色であったり紫がかっていたり、焼成中の温度の変化で微妙に色が違うのです。市野氏の作品にも、この赤土部が多く用いられ、深みのある美しい色が存在感を放ちます。
心の内を感じる場でもあるギャラリー
丹波篠山市今田町(こんだちょう)にある大雅工房の目印は県道に立つ小さな看板だけ。目印を頼りに細い坂道を上るとギャラリーとショップ棟があります。
Abf(As bird fly)と名付けられたギャラリーは、鳥が大空から地上を見ている景色をイメージしています。壁のひびわれは干上がった田んぼ。国内外で活躍する左官職人、久住有生(くすみ なおき)さんの手によるものです。床は京都の黒谷和紙の作家、ハタノワタル氏の作品。部屋の中央に置かれているのはもちろん市野氏の作品です。
市野氏にとってここは自分自身を見つめなおす場所。鳥が上空から地上を見るように、ものごとを俯瞰してみること。目線を変えて見ることで今あるものを確認し、いろんな角度から出来事や感情を見ないといけない、と自分を戒める場でもあるのです。
「同じ空間でも、自分の心の状態によって、違って感じられる」のだそうです。
市野雅彦氏の作品や他の作家の作品も展示され、購入することもできます。
カジュアルに使える器が並ぶショップ
ショップに並ぶのは大雅工房の器たち。使いやすく家庭の食卓に彩りを添えてくれるデザインです。大雅工房の器は、豪華列車のダイニングや人気カフェレストランの器にも採用されています。
自然の中で育むイマジネーション
ギャラリーの裏手にある山は、さながらアートの森。自身でユンボを繰って道を作り、自然の木々の間に陶芸作品が身を潜めています。鳥の声と風の音だけが聞こえる静かなアトリエで市野氏は作品のイメージをふくらませるのでしょうか。
自身の作品や海外のアンティークなど、好きなものだけを置いているアトリエ。男の子の隠れ家のような、わくわくするスペースです。
陶芸家としての過去と未来
丹波焼の窯元はほぼ世襲制です。実家の信水窯を立ち上げた父は茶陶で名を馳せた人。長男である兄はあととりとして育てられ、次男の雅彦氏は自由な身でしたが、「なんとなく美大に行って、師匠の作品を見て直観的に弟子入りを決め、独立して…、流れにのって今まできた」とはご本人の弁です。
師事したのは京都と広島に工房をもって活躍している陶芸家、今井政之氏。内弟子時代は、1年の半分を京都、あとの半分を広島で仕事をする生活。兄弟子らと寝食を共にし、技術は教わるのではなく見て学べという時代でした。たとえその日の仕事が終わっても自分の作品を作ることは許されず、休日に自宅で土にふれていた日々。幼い頃から家業の陶器づくりを間近で見、美大で技術を学んだにもかかわらず、「当時はそういうものだと理解していた」とは言うものの、「作りたい」という思いは募っていきました。本来10年の弟子生活を5年で区切りをつけて丹波に戻り、父の元で2年間修業をしたあと、独立して大雅窯を開きました。
丹波に戻って2年後に独立してからは、売れるから作る、ではなく自分が表現したいアート作品を作っていこうと決心したのです。市野氏は作品作りに励み、コンペに出し続けていました。
流れが変わったのは阪神淡路大震災のとき。冒頭に書いたように、ボランティア活動を通じて受けた衝撃、自然の前に無力な人間という虚無感。そんな思いがあふれ出た作品「開」が大きな賞をとったのです。この賞をとれば一生安泰といわれるくらいの賞です。しかし、市野氏は逆にしんどくなってしまいます。
「大賞と同じようなものを求められる。それを作れば売れるけれど、そこにとどまるのが嫌で…。作品は時代と作り手の中に生まれる、だから変化していくもの。捨てることで新しい作品が生まれるのに…と葛藤がありました」と、受賞作品と同じような市野雅彦カラーを求められることへのとまどいと反発がありました。
そして……、あえて装飾を加えず形の美しさで勝負に出ます。新しいものを求めて様々な人に会い、刺激を受ける中で、日展、兵庫県工芸美術家協会など、入っていた組織を辞めるという行動に出ます。
「環境を変えたかった。時間もほしかった。思い切って辞めて、退路を断って一人でやってみよう」と決意したのです。その年、2006年に本人いわく「思いがけない賞」を受賞します。美術館等のキュレーターが選び、その1年、最も活躍した陶芸家1名だけに与えられる日本陶磁協会賞です。
その頃から、個展では、会場全体に自身の世界観を表現するようになります。注目度は高まり、評価され、引き合いも増えて多忙な日々が始まりました。
しかし、忙しいさなかに突然の病に襲われます。手術から療養期間3年間はまったく陶芸をしない時期がありました。「本人は常に仕事に追われる生活をしていたので、休みもらったと喜んでいました」と奥様。決まっていた展示会もすべて延期か中止になりました。
そして復帰。延期になっていた兵庫陶芸美術館での展示会をはじめ、活躍の幅を広げていきます。ただ、今までと陶芸への向き合い方は変わりました。
「土との対峙の仕方が大きく変わってきました。以前は自分の思いを優先するあまり、土を思い通りにしようと、土をねじ伏せるような感じでした。最近は土によりそうというか、土にさわりながら感じるというか。自分が間に入って土のチカラで形を作らせてもらっている、いうような感じです。これからも土の息吹を生かして、新しい形だけどなつかしい、どこかで見たことがあるような気がする…、と感じられるものを作りたい」という市野さんの言葉のはしばしに、自然に対する感謝や生きていることへ感謝を感じました。
大雅工房
住所 兵庫県丹波篠山市今田町下小野原837
Tel 079-597-2010
営業時間 9:00〜18:00 (12~2月は9:00〜17:00)
定休日 なし
http://taigakobo.com/